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仮面の告白

仮面の告白 (新潮文庫)仮面の告白 (新潮文庫)
(2003/06)
三島 由紀夫

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早熟の天才、三島由紀夫の著作。『潮騒』『金閣寺』『鍵のかかる部屋』を読んでから、しばらく疎遠だった三島作品に再びふれてみた。
『仮面の告白』は「私」による一人称告白体で、「私」の幼年期から青年期にいたる過程を描いたもの。「私」というのは勿論三島自身の投影であって、半自叙伝的な小説となっている。そうであるから、フィクション性に富んだ「大事件」なるものは起こらず、もっぱら心理描写に重きが置かれている。
一章は幼年期の話で、その頃から男の汗・血・肉体に対するぼんやりとした固執と美的な死、それから女装への興味などが語られる。
二章は思春期の話で、やはり同性愛の体験がつらつらと語られていく。「私」はこの時点で自分の性的趣味を自覚し始め、苦悩の翳りもだんだんと見えてくる。
三章では、友人の妹である園子との恋愛と裏切りが描かれ、四章で「私」は園子と再会するも、二人は結ばれない。

さて、作中を貫いている重要な要素として同性愛がある。これは祖母によって過保護に育てられた、ひ弱な「私」の自意識が屈強な男性像に対する憧れとして発露したものだろう。それは戦時下という時代背景で、逞しい肉体こそが即ち、男らしさの象徴であるという風潮もあったのではないだろうか。
仮面の告白における「仮面」を考えたとき、無難な解釈として園子との関係があげられる。つまり同性愛を恥ずべきものだとみなし、自分が正常な人間だと周囲に偽るための演技として、園子と恋愛じみた関係をもつこと、それこそが仮面である、と。
「私」は園子に対して、他の女性にはない何かを感じ惹かれたような気分になる。それが本物の愛なのかどうか分からずに内省を続け、感情がくるくると瞬時に裏返ったり、矛盾したりする。そして結局は、園子からの結婚の申し入れを断ってしまう。
それからすぐに園子は別の男と結婚し、「私」と園子は友達として会合を続ける。「私」は園子との短い逢瀬に静かな幸福を感じている。それは人口的な愛を積み重ねる空虚な作業であった。だが「私」はある意味で行為に満足感を得ていた。仮面が「私」自身の顔に、ぴったりと定着しかけていた。
しかしある日の逢瀬の真っ最中、「私」は日向で半裸体になっている若い男の肉体に釘付けとなり、同性愛的象徴に満ちた空想を走らせる。そのぼんやりとした意識が冷め切らないまま園子を振り返ると、今まで築きあげてきた人口的な愛の建造物が一気に壊れていくような感覚に襲われる。「私」は最後まで同性愛という宿命に抗いきれなかった。仮面はどこまでいっても、作り物でしかなかったのだ。

ここまで書いてみて、なんだかトンチンカンなことをやっているような不安がこみ上げてきた。仮面とは、告白とは、突き詰めて考えると「同性愛」というテーマを打ち出しながらも、もっと普遍的な人間のあり方について演繹できるような思想がこの作品の底流をなしているんじゃないかと。「私」の場合はそれがたまたま同性愛だっただけで、我々にもなにがしかの仮面がきっとあるはずだ。それを探るのは、ちと現時点の自分には荷が重いのでここら辺で止しておく。

最後になったが、これを二十四歳の三島由紀夫が書いたことを恐ろしく思う。レトリックぎらぎらで古典フランス文学めいた格調高い文体は「私」の孤独と内面世界を美しく浮き彫りにしている。
まあ、個人的には……あまり好きじゃない。

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